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★つぎの原発大事故の準備
(長州新聞2011年7月1日付より転載) 福島原発事故を受けて全国的に「原発はやめろ」の声が圧倒するなかで、菅政府は九州電力の玄海原発を全国の原発再稼働の突破口にしようとしている。 海江田経済産業相が佐賀県に行き、古川佐賀県知事は容認の姿勢を示した。 玄海町長と佐賀県知事が容認するのは金が入るからであり、それ以外に理由はない。 被害を受ける一部分だけを買収することによって大多数を犠牲にするのが原発政治である。 「原発の安全は政府が保証する」といったというが、自民党政府につづく民主党政府には原発の安全を保証する意思も能力もないことを暴露したのが福島原発事故である。 メルトダウンして信用をなくしているのは政府である。 事故の収束も検証も安全基準のめどもなく、避難住民が古里に帰るめどもない。 つまり原子力に対して手に負えない姿をさらしながら、なんの反省もせずに「保証する」という恥を知らぬ神経が大事故をひきおこす要因なのだ。 「津波対策は十分にしている」という。 しかし福島原発の電源喪失は地震による送電線鉄塔の倒壊によるものだった。 さらに津波より先に地震による配管破断・冷却水喪失によるメルトダウンという専門家の指摘もある。 ドイツではテロ攻撃による原発破壊の危険性が脱原発の理由になった。 朝鮮、中国との軍事緊張を強めるなかで、一番近い玄海原発が戦争の標的になるのも「想定外」ではない。 福島原発事故の巨額の損害額は、結局は電気料金と税金で被害を被った側の国民がかぶり大被害を与えた東電の側が被害者のような顔をして救済される。 大事故をやっても電力会社はつぶされず、事故の損害は国民に転嫁するから「原発は一番安いエネルギー」と今もいいつづけ、図に乗って「原発を止めたら停電にする」などと脅す。 中曽根から小泉そして菅まで、アメリカかぶれの新自由主義改革をやってきたが、国民にとっては首吊りの自由で、大企業にとってはボロ儲けの自由だった。 東電に責任をとらせないことが、連続した原発大事故を準備することになる。 那須三八郎 (転載終了) ●この記事の内容が指摘する通りである。 私が、あえてコメントするより、長州新聞の主張をよく読んでほしい。 ★ 週刊現代(4月3日の記事を転載) 「防災担当相」という肩書なのに、この非常時にまったく顔を見ない大臣がいる。 松本龍大臣のことだ。 「官邸に引きこもって閣議後の定例会見すら開かない。 取材対応も記者との立ち話程度で、原発のことを聞くと『私は担当じゃないから』と逃げる。何をやってるのかさっぱり分からない」(全国紙政治部記者) 松本氏は福岡1区選出で、祖父は「部落解放運動の父」と呼ばれた松本治一郎元参院副議長。祖父が興した福岡のゼネコン「松本組」の御曹司で、菅内閣の閣僚中ではダントツの、資産7億円を誇るリッチマンだ。 「ボンボン育ちで、修羅場をとても仕切れない。 地震発生時にはパニックに陥り、以来、会見もできない。こんな人物を防災担当相に据えた菅首相の責任は大きい」(全国紙編集幹部) 震災が発生した3月11日から数日間、被災地救援や物資輸送が滞り、その後の活動に多大な悪影響を及ぼしたが、松本氏はその"元凶"と目されている。「官邸の危機管理センターに詰めていた松本氏がまったくの役立たずで、自衛隊の初動が遅れたのです」(全国紙政治部デスク) 3月19日に菅首相が谷垣禎一自民党総裁に「副総理兼震災復興担当相」で入閣を求めた際、「松本防災相を辞めさせてから話を持ってくるのがスジだ」と"更迭"を要求したとされる 。もっとも松本氏はすでにクビになったに等しい状態だ。 「松本氏がやるべき仕事は、ほとんど仙谷氏がやっている。被災者支援の業務で官僚を呼びつけ、指示を出しているのは仙谷氏。 松本氏は単なるお飾りと化しました」(官邸スタッフ) どうして菅政権は、こんな役に立たない人材ばかり揃っているのか。 (記事の転載終了) ● 開いた口がふさがらない、というより、もはや開ける口がない。 松本大臣の辞任記者会見をみて、国会で所信表明演説をした直後に病院に雲隠れして政権を放り出した安部信三元総理や麻生太郎元総理,赤木元農林大臣な等と同じ種類の坊ちゃんバカだと気がついた。 彼らに共通する性格特性として、「特別な家柄に生まれて過保護に育てられたが、実は多くの劣等感にさいなまれたままであり、自分の未熟さを自覚できない」と指摘しておこう。 いまだに、安部信三元総理がなぜ?政権を何の釈明もなく放棄したのか?マスコミは今からでも検証すべきであるが、実はマスコミは真実を報道しないことで成り立っているので、知っているのにダンマリを決め込んでいる。 お坊ちゃま政治家たちは、「自分に能力もないのに権力を与えられる」と、ビクビクして、少しでも自分を軽く見る者や敬わない者に対面すると激怒するか、極端に恐れるかのどちらかである。 自分の果たすべき仕事や役割を深く理解する知性が無いので、操りやすいロボット犬として”蛇のような血族”には随分と使い勝手の良い道具なのだ。 もし、犬の身分を忘れ、当たり前の人間性を回復して民衆の為に働こうとすると、リンカーンやケネディ元大統領のように抹殺される。 犬は決して目覚めてはいけないので、そのような特別の家系に生まれたら、”首吊りの自由”さえない哀れな運命を背負い込むことになる。 昨日からのニュースで再三報じられたように、松本復興大臣の被災県の知事に対する傲慢な口のきき方、人を見下す態度は、(実は気が小さい男の証明でもある)許されない。 任命権者の官総理が、なぜ週刊現代4月3日の記事が指摘する「無能な男」を復興大臣に任命したのか? 松本元大臣は、私と4日違いの同年同月生まれである。 私は長州新聞の記事が指摘する”首吊りの自由”さえ無い、変わり者のジジイだが、3.11以降の”犬のような人間たちの猿芝居”が被災地の復興をわざと遅滞させていることに憤っている。 (余談ながら、私の直観では、松本元復興大臣が実は不器用な正直者であるともみえる。) このように復興をわざと遅らせ、(放射線を国民に浴びせたまま)、素知らぬ顔で「国民の安全第一」をアピールする犬たちは、”想像力が欠如している”ので、ご主人様の意のままに働く。善悪や、ことの是非をおもんばかる当たり前の知性がまったくないので、この国の大臣に成れるのであり、このような”愚かな犬人間”しか選択する自由が我々にないことが、”首吊りの自由”の意味だ。 世界が、もうすでに終わっていることに、あなたは気づき始めたかもしれない。
子供たちを国家の犯す犯罪の犠牲者にしてはならない。
福島第一原発が起きてからほぼ4か月がたった。 放射能汚染は毎日続いている。 今回の地震が〈仮に)天災であったとしても、原発事故は人災である。 毎日、福島上空から莫大な量の放射線が、この国だけではなく世界中にまき散らされている現状を、われわれは真摯に受け止めて、有効な対策を一刻も早く実行する必要がある。 被害者である当該の県が、子供の放射線年間被ばく限度を20ミリシーベルトにあげるようにと文科省に要請していた事実が明るみに出ると、文科省があわてて本来の1ミリシーベルトにもどしたのをみて、私は言葉を失った。 ”風評被害”という言葉を逆手にとって、被ばくした農産物や魚介類を市場に出して恥じないのは、言語道断であり、いくら被災地復興のためであるとしても、放射能に汚染された食物は食べてはいけないし、出荷してもいけない。 旧ソ連の独裁的な政権でさえ、チェルノブイリの事故の翌日には1100台のバスを手配して住民を即座に避難させた。 この国は、「安全だ!ただちに被害はない?」などと言い募って、平気で国民や被災者を被ばくさせたままである。 特に、事故直後の子供たちに”ヨウ素剤”を適切に服用させたのか、それとも配布すらしなかったのか?、マスコミはこのことをしっかりと追跡取材してほしい。 ★武田邦彦(中部大学教授) 「7月3日のブログを転載する」 子どものオシッコから放射性セシウムの検出 かわいそうなことですが、日本の子どものオシッコから放射性セシウムが検出されました。 この問題を正しく判断するポイントは、 1) 検出された量は、世界の水道水の規制のレベルだから、ハッキリした内部被曝をしたことを意味している、 2) 子どもが内部に取り込んだ時期は3月下旬から4月上旬と考えられる、 3) 子どもの体内に入った総量はこの測定では分からず、一過性なら大したことはないが、継続的にでる場合はかなりの量が体内に入ったと考えられる、 4) 測定値が日本からではなく、フランスからであることが残念だ、 5) この件について、文部大臣が「健康に影響はない」と発言したことには何の根拠もない。ただ「安全だ病」にかかっているだけです。 放射性セシウムの半減期は30年ですが、体内には成人男子で約3ヶ月ぐらい体に残ります. 子どもの場合、最短で2週間位から出始めます. この子どものオシッコを採ったのが5月中旬ですから、おそらく4月の体内被曝の分が出たと考えられます. だから、もしこの子どものオシッコをもっと早く採っていれば、高い濃度のセシウムが検出されたと思います。 国は測定値が高い頃に測定するのを控えていたと考えられます. 私は今回の福島原発の事故で、何回か日本人としてのプライドを傷つけられました。 1) 最初の段階で日本の気象庁のデータが出ないので、ドイツの気象庁のデータで風向きを推定した、 2) ソ連は事故の翌日に1100台のバスで住民を大量に非難させたが、日本政府はなにもやらなかった、 3) 福島沖から茨城沖の魚や藻類の放射線のデータをフランス原子力センターの測定値を使った、 4) 今回のオシッコの検査も外国だった。 この機会に文部大臣が反省して欲しかったのですが、逆に内部被曝の時に用いる「預託線量計算」が50年(実質1年)であることを取り上げて、「大したことはない」を繰り返していました。 ・・・・・・・・・ 子どものオシッコにでる放射性物質は、例えば、1ヶ月目から出始めて、最初は濃度が低く、徐々に上がっていって1ヶ月半ぐらいでピークになり、それから徐々に減り始めます. ということは、今回のサンプルが子どものどの時期に当たっているかによって、そのお子さんの内部被曝量が決まるのであって、今の段階では、「極めて厳しい」という状態から「大したことはない」まであって、誰も決めることは出来ません。 ・・・・・・ いずれにしても、空気中や野菜の中の放射性物質を体に取り込んだのですから、オシッコにでるのは当然です。 今後も「放射性物質を含む野菜を食べないなんて、風評だ!」といって放射性物質を食べさせた子どものオシッコにはすでに放射性物質が出ているはずです. ひどいことをする日本の大人(政府、農水相、教育委員会など)です。「自分のオシッコにヨウ素やセシウムが出て欲しくない!」と叫んでいる子どもの声が聞こえないのでしょうか? その子供たちの態度を「風評を煽る」といって非難するのですから、鬼のような大人です.・・・・・・ 防御方法ですが、 1) 新たに内部被曝しないように、風の日はマスクをし、食材に注意する、 2) 新陳代謝を盛んにして、放射線に注意しながら(カリウムは自然のものでも若干の放射性カリウムを含む)カリウムの食材を少しずつ採る、 3) 体力を維持し、栄養のバランスをとり、3月に被曝した子どもはできるだけ放射線の夏休みを過ごす、ということです。 「以上で転載を終了」 まさに、”鬼のような大人”が、この国の中枢には数多くいて、彼らには「国民を守ろう。せめて子供たちだけでも守ろう」という当たり前の気概がまったくない。 彼らが仕えているのは、鬼よりもたちの悪い”蛇の血族”であり、その上位にランクされる国際的に活躍する犬から数十段も下に位置する犬が発する命令に従っているのだ。 最下級の犬たちは、「自分たちが選ばれた特別な人間である」と大きく勘違いするようして育てられてきたので、国民がどのように苦しんでいようが、子供たちに放射能を浴びせても、心がまったく痛まないのだ。 もちろん、社会的には苦渋の顔をみせて、泣いたり怒ったりするのだが、すべて演技だ。 ”犬の三文芝居!”は、表情だけで演技するので、目を注意深く観察すれば直ぐにばれる。 どんな世界でも、悪玉は自分が犯した罪を手下のせいにして、自分は素知らぬ顔をするどころか、また別の系統の犬に銘じて”もはや用済みになった犬”を始末する。犬が吠えるだけ吠えて、人を威嚇したり襲っても、飼い主は目的を達成した時点で、じつにあっさりと犬を見捨てる。 世界は、もうすでに終わっている。 福島の子供たちが日々放射能に汚染されている現状を知りながら、自分の子供が無事であれば良しとする大人が、”鬼のような犬人間になる日”が近づいている。 政治家が政争に明け暮れ、目に生気のない官僚が非常識な基準値を他人事のように発表して「わざと原発事故の復旧」を遅らせていることに気が付かないほど愚かな大人は、飼われてしか生きることのできない”犬の予備軍”である。 真実を国民に正しく伝えないことで成り立っている大新聞やテレビは、もうすでに犬の配下であり、”大きな力に飼われて(買われて)生きる犬”の広報部隊だ。 もうすでに、世界から愛が消えているので、人が住む場所がないのだ。 誰が見ても明らかな不正や悪を、大人の態度であるとうそぶいて、そんなことが無かったことにしたり、今まで知らなかったと強弁して、「私のせいで原発事故が起きたのではない」と平然として言う大人たちの卑怯な態度や、卑屈な心根が子供たちの瞳から光を奪い続けている。 私は恥ずかしい。 福島の子供たちを守れない自分の在りようが悔しい。 これまで私は数多くの障害者と関って無力感にさいなまれたことがあったが、今ほど自分の無力さを実感したことはない。 武田先生のブログを読んで、ただただ泣くしかできない。 60年間生きて、世界の終末を伝えることだけが私の使命なら、私にはもう言葉がない。
★「テポドン着弾しても原発は壊れません」…大荒れの関西電力株主総会
(6月30日スポーツ報知の記事から転載) 東京電力福島第1原発の事故収束が見通せない中、28日の東京電力に続き、関西電力の株主総会が29日に大阪市内で開かれた。 7月から15%節電を求めている関電でも、経営陣は「原子力は必要な電源」との立場を強調。 株主からの「北朝鮮が原発に対してテポドンを撃ってきたらどうするか」との問いに対しても、自信満々に「着弾があっても、堅固な立派な格納容器と思っている」と答えた。 これには識者も「バカげた返答だ」と批判。 電力会社と市民との意識のズレが露呈した形となった。 関電の総会には、過去最多の2008年を700人以上上回る2244人の株主が出席した。 会場外の炎天下にも負けない熱気の中、関電経営陣は「原子力を“中心とした”最適な電源構成を構築する」と、原発事業の拡大の意向さえ示唆。 「脱原発」とかけ離れた感覚に、文字通りの“爆弾発言”が浴びせられた。 「北朝鮮が原発に対してテポドンを撃ってきたらどうしますか。 その対策を教えて下さい」―男性株主の質問に、原発事業の担当役員である豊松秀己常務取締役(57)が答弁に立った。 「テロ対策は、侵入があれば治安機関に通報する。 大規模テロには対策本部を設置し、テポドンの場合は国民保護対策本部を作って国と対応する」その上で「仮に着弾があっても、堅固な立派な格納容器と思っている」と言い放った。 関電の原子炉11基は日本海に面する福井県内にあるが、弾道ミサイルの標的になっても「大丈夫」との強弁だった。 根拠は不明だが、自信満々の“安全保障宣言”。 原子力発電に長年警告を発してきた京大原子炉実験所の小出裕章助教(61)は、この発言を大いに疑問視。 「仮に格納容器が壊れなくても、配管1本が壊れるだけで炉心溶融(メルトダウン)が起こりえる。 格納容器が大丈夫だからというのは、もともと成り立たないバカげた返答」と、関電の見解を一蹴した。 原発の在り方をめぐり、総会の時間も過去最長の4時間51分に及んだ。 株主提案は「自然エネルギー発電への転換宣言」「すべての原発停止」など原発事業に関するものや、経営陣の責任を問うものに集中したが、すべて否決。 (転載終了) 馬鹿につける薬はない、の喩(たと)えは、関電常務の返答を聞けば、いかに適切な比喩であるのかが了解できる。 豊松常務が自信をもって、「テポドンなんか怖くない!格納容器は堅固で安全だ!・・・」と本気でそう信じているとしたら、福島原発の現状をどのように考えるのか? この期に及んでも、「放射能は漏れても!福島原発の格納容器はまだ壊れていないから安全だ!」と強弁するつもりか。 このような安全馬鹿が、原発担当の重役である関西電力のモラルや人材の質など、私が問うべくもない。 そんなに安全なら、わざわざ福井県の過疎地である若狭湾に原発を立地せず、大阪湾に造ればよいではないか。 原発を安全だと言えば言うほど、世間は怪しむばかりだ。 福井県美浜町で「ミサイルが来る」との誤報が流れ、大騒ぎになったニュースを覚えているだろうか。 2008年6月31日のことだ。 当時のニュースによれば、「付近の防災無線のスピーカーからサイレンとともに流された緊急警報で公園にいた住民はパニックに陥った。 おとなたちの『大変だ、ミサイルが飛んでくるぞ』の声に、女子中学生たちから笑顔が消え、恐怖で顔はひきつり、泣き声があがった」とのこと。 私はこのニュースを聞いて、「福井の原発付近の市町村には、ミサイルが飛来することを想定した防災テープが用意されている」ことを知ったのだが、株主総会での質問者も私と同じような懸念を持ったのかもしれない。 ★FRANCE MEDIA NEWS フランスからのニュース 日本当局の「重大な怠慢」仏CRIIRAD報告 6月29日 Le Monde.fr / AFP (ルモンド紙ウェブサイトより転載) フランスの非営利団体CRIIRAD(放射能に関する独立研究情報委員会)は、日本における情報収集作業を終えて帰国し、福島原発事故における日本当局の危機対応に「重大な怠慢がある」と報告した。 29日未明リヨンで行われた記者会見で、「チェルノブイリ事故から25年経った今、なぜ未だにこれほど事故対応が怠慢なのか?」と、5月に日本で放射線量測定とサンプリングを行った同委員会メンバーのブルノ・シャレロン氏(原子力物理学技師)は嘆いた。 同氏によれば、「十分な範囲にわたって住民避難が行われなかった」だけでなく、住民(特に子供たち)を甲状腺被害から守る「ヨウ素剤の服用も行われなかった」。ヨウ素剤は被曝の3時間前に服用しなければ効果はない。 さらに現在も事故収束への進展が見られず、新たな放射性物質排出の危険性がある中で、「住民へのヨウ素剤の配給もなく、汚染された食物を食べさせられている」という。 「チェルノブイリと同じことが日本でも行われている」 シャレロン氏によれば、「原発から20キロを超えた地域でも発ガンの危険性を孕む量の放射線が検出されており、一般的とされている発ガンリスクの20倍の数値がまかり通っている」と語る。 さらに同氏は、「現場の日本当局と産業関係者は状況にただ唖然としている」と感想を述べ、原発周辺の避難区域をさらに数十キロにわたって拡大するか、土壌の除染作業をすることが必要だと語る。 同委員会のロラン・デボルド委員長は、「原子力事故がある度に、被曝許容量の数値が上げられることに不安を感じる」と述べ、さらに、「経済的理由から、チェルノブイリで行われたことが日本でも同様に行われている。 それは重度に汚染された地域に住む住民を避難させないことだ」と語り、その理由は高額に及ぶ賠償金額のためだという。 (転載終了) この国の為政者は、これまでも国民を災禍から守らなかったので、フランスのルモンド紙がどのように問題を指摘しても、悲しいかな無駄である。 私は3.11のような災害による原発事故と放射線被ばくを早くから予測していたので、私の友人や知り合いに、子供たちの為にヨウ素剤を備えておくようにと知らせて備蓄してあったので、かなりの数の子供たちが放射性ヨウ素の被ばくを免れたはずだ。 私はすでに老人なので、冷蔵庫に保管していた私用のヨウ素剤を、幼い子供を持つ幾つかの家族に提供したのだが、その時に気になる情報をある父親から聞いた。 小学3年生と1年生、そして3歳の子供3人を持つ父親が原発の事故を知って、すぐに知り合いの薬局にヨウ素剤を問い合わせると、”ヨウ素剤がすべて福島県に集められているので、在庫がないことと、今後はこれまでのように買えない薬になった”ことを知らされたと言うのだ。 事の真偽をまだ確かめていないので、今は何も言わないが、ルモンド紙が記事で指摘するように、事故の後「ヨウ素剤の服用が行われなかった」としたら、まさに重大な政府の過失である。 記事が指摘するように、「チェルノブイリと同じことが日本でも行われている」ことに間違いはない。 ★福島市の子供10人の尿から微量の放射性物質 仏研究所「内部被曝の可能性」 (産経新聞6月30日付け記事から転載) 福島県内の保護者らでつくる市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」などは30日、福島第1原発事故の影響調査のため福島市内の6~16歳の男女10人の尿を検査した結果、全員から微量の放射性物質が検出されたと発表した。 放射性セシウム134の最大値は8歳の女児で尿1リットル中1・13ベクレル、セシウム137の最大値は7歳男児で同1・30ベクレルだった。 尿は5月下旬に採取し、チェルノブイリ原発事故で周辺の子供の被ばく量を調査した経験がある、フランスの放射線測定機関「アクロ研究所」に検査を依頼した。 アクロのデービッド・ボアイエ理事長は記者会見で「福島市周辺の子供らに極めて高い確度で内部被ばくの可能性がある。 事故前の数値はゼロだったと考えられる」と話した。 (転載終了) 子供を守れない国は必ず亡びる、と私は思っている。 3.11以降、この国の為政者は解決すべき問題をすべて、”遅滞(ちたい)”させている。 被災地のがれきの撤去から、福島原発事故の収束に向けての原子炉の安定化、そしてこのブログで何度も指摘している子供たちの被ばく問題、野菜も魚も汚染されたまま流通している可能性も含めて、政府は有効的な解決手段をうたない。 まるで「国民を放射能被ばくさせることが目的」かと疑うほど、政治家は政争に明け暮れ、莫大な金額を払ったアメリカやフランスの放射能除染装置もすぐに壊れて、まるで機能しない。 グズグズと時間ばかりが過ぎていくうちに、セシウムやストロンチウムが、あなたの家の屋根に降り積もり、あなたの体内に取り込まれる日を待っている。 メード・イン・ジャパンの放射線物質は、愚かな権力者の犬の、さらに末端の犬の手によってばらまかれているのかもしれない。 何があっても、子供たちだけは守らねば、 大人として恥ずかしい。
蛇の血族に魂を売った犬たちは、もうすぐ悲惨な末路を迎える。
◆東電株主総会大荒れ!「お前ら原子炉に飛び込め」 (6月29日 スポーツ報知より転載) 東京電力の株主総会が28日、都内のホテルで行われた。過去最多の9309人が出席し、最長の6時間9分に及んだ総会は、開始15分で勝俣恒久会長(71)の議長解任動議が出されるなど大荒れ。 福島第1原発事故の責任を追及する株主からは、経営陣に「お前ら原子炉に飛び込め!」などの怒号が飛び交った。 原発事業からの撤退を定款に盛り込むよう求めた一部株主からの議案は、反対多数で否決された。 この日は、中部、九州、北陸の各電力会社でも株主総会が開かれた。 会場となった東京・港区のホテルの周辺には、総会開始1時間前の午前9時頃から長蛇の列ができた。 例年は3000人集まる程度の株主総会が、この日は過去最多の9309人に膨れ上がった。 ~中略~ 株主402人から提案された、「原発事業からの撤退」を定款に盛り込む議案には次々と「賛成」の声が上がったが、大株主や機関投資家の大半が反対に回った模様で、東電は議決権の大半を委任されていることを理由に否決。 「脱原発」議案への賛成は全体の約8%で昨年の5%を上回ったが、60代の主婦は「最初から結論が出ているみたい。茶番だわ」とあきれ顔だ。 過去最長6時間9分にわたった総会は、株主と経営陣が対立したまま終了。引き揚げる役員たちの背中に、株主の「お前らはオウム真理教と同じだ」という声が刺さった。 ◆東電OL殺人事件の被害者は反原発の為消された? (6月28日 メルマガ激裏GATEより転載) 渡邊女史の父も東電幹部であったが在職中に病死。 この父娘の死には原発の影がつきまとうという。 渡邊女史の父は東電公務部統括する幹部だったが当時「明るい未来のエネルギー」として期待されていた原発事業にも関わる立ち場にいた。 しかし高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになり、副部長という役職からたった1年で降格。翌年ガンで急死・・。 その2年後に予測されたかのようにスリーマイル事故が起る。 当時慶応2年生だった泰子を、東電に引き入れたのはあの勝俣だったという。 そして泰子は勝俣が当時企画部長を務めた企画部経済室へ。 そこには現在副社長を務める企画管理課長藤原氏もいる花形部署だった。 しかし勝俣、藤原の思いとは裏腹に泰子は父の意思を継ぎ、反原発へ。 そのリポートは賞を取る程すぐれたものだったという。 そして・・渡邊親子が警告を発し続けたプルサーマルが本格稼働した1997年、泰子は売春婦として殺され闇に葬られた。 泰子の死の翌年、勝俣は常務取締役になり、原発推進事業が加速し、今に至るという。 泰子を殺した犯人は売春客だったネパール人(実刑確定済み)とされているが、冤罪の可能性が高く、捨てられた泰子の定期など矛盾点も多い。 東電の圧力で報道規制をかける事も可能だったろうこの事件。 OLではなく管理職だったにも関わらず「売春婦」として報道が垂れ流された、 その理由は何なのだろうか。 そして事件の真犯人、深層は。 ◆『東電OL殺人事件』著者 表題の“東電”外すよう工作された (6月25日 週刊ポストより転載) 実は震災を取材するなかで、特に福島を歩く俺の脳裏から離れなかったのが、かつて『東電OL殺人事件』(2000年)に書いた渡辺泰子のことだった。 慶応から東電に入り、通産大臣の渡辺美智雄ら政界との連絡役も務めた泰子は、娼婦として街角に立つ夜の顔を持ち、そして殺された。 当時、俺はせめて表題から“東電”の二文字を外させようとする広報担当者からやけに豪奢な鯛釣り旅行に誘われたり、慇懃で狡猾な懐柔工作の標的になったから、その隠蔽体質はイヤになるほど肌で痛感しているけどね。 隠蔽体質の最たるものは泰子が夜の商売をしていることを、東電の連中がみんな知っていたことだよ。 それでいて社員が身体を売っているなんて認めるわけにいかないから処分するでもなく、ロクに寝てないから会議中にウトウトする泰子を、同僚はみんなでバカにして笑っていた。 どれだけ陰険な会社かわかるだろ。 つまり今回露呈した東電の隠蔽体質は昨日今日始まった話じゃない。底意地が悪くてどこか他人事な無責任体質の化けの皮が、多少剥がれたってだけなんだ。 ◆「スポークスマン」愛の日々 経産省「美人職員」を弄ぶ「西山審議官」 (週刊新潮 2011.6.30 26~29ページより転載) 6月17日深夜、西山審議官は都心ホテルのバーで妙齢の女性と密会していた。 店を出て手をつなぎ、嫌がる素振りの彼女にキスを迫る。 実は、彼女との不倫が始まって1年が経過していた。 危急存亡の時にも愛人と大人の関係を続けるスポークスマンの裏の顔。 2人を知る経産省関係者が打ち明ける。 「実は、彼女は経産省に勤める職員です。 以前から西山さんお寵愛を受けており、1年前から特別な関係にあります。 平たくいえば愛人ですね。 (愛人と2人で)大手カラオケチェーン店に行くことが多かったそうです。 決まって使っていたのは、8階のVIPルーム。 西山さんは、[古いカツラを使っているので激しい動きをするとカツラがズレてしまう]。 だから、ゴルフなんかやらない。 [セックスする際、上の肌着を脱ぐとカツラが引っ掛かってズレてしまう。 そのため、パンツは脱いでも上は着たまま、しちゃうそうです」 (以上で4つの記事の転載を終了する) 私は道徳を信じない人である。 誰と誰がどのように交際しようが、封建時代の悪代官や地主に言い寄られて無理やり妾になる時代ではないので、各人の責任で好きにやればよろしい。 しかし、ここに転載した4つの記事があきらかにした、東京電力や原子力にまつわる人間たちの質の低さには、反吐(へど)が出る。 東電OL殺人事件のことは、当時、テレビのワイドショーが連日に渡って報道していたので、よく覚えている。 慶応大学卒がそれだけでエリートであるという前提の記事には疑義を唱えたいが、本旨から外れるので、ここではいわない。 とにかく、OL殺しの犯人とされたネパール人が冤罪(えんざい)である可能性が極めて高いと思われるので、この点を決して見逃さないようにしておこう。 福島第一原発の事故が、放射能汚染だけではなく、原発というウランを燃やして電力を作るシステムに群がった、愚かな犬のような人々の存在をあぶり出してしまった。 太陽光発電や風力発電が一般に広がれば、彼らのような犬たちは利権を作り出すことができなくなるので、ウランという一般には決して扱えない物質を燃やすことにして、官僚や政治家が利権を独占した。 原発をこの国に導入したのは、政治家の中曽根康弘と、読売新聞社の創業者でCIAのエージェントでもあった故・正力松太郎、さらには元東電会長、平岩外四の3人であることは周知の事実である。 当初は原発に及び腰であった電力各社も、積極的に導入するようになったのは、設備投資すればするほど利益が確保できる電気事業法の改正によるところが大だ。 田中角栄首相が登場(1972年7月)すると,原子力政策は決定的な変質を迎えた。 「日本列島改造論」の一翼を担うかたちで実施された電源三法〔電源開発促進法,電源開発促進対策特別会計法,発電用施設周辺地域整備法〕は,過疎地への原発の誘致が完全に利権として定着するきっかけを作ったのだ。 ここで、いよいよ福島原発を積極的に導入した政治家、渡部恒三と元秘書で、彼の甥にあたる現福島県知事の佐藤雄平の登場である。 ★ ブログ ピグの部屋 [03月29日の記事を転載 ] 原発の交付金と大き過ぎる代償 福島に原発を誘致した民主党の渡部恒三とその一族。 渡部の甥の佐藤雄平は福島県知事で、黄門さまと共同でアメリカ企業のご機嫌を伺って原発推進してました。 国会議員一人の力でここまでたくさん原発作った例は過去に一度も無い。 同じ原発王国の福井や新潟と比べてもその差は歴然。 しかも発注したのが米GE社製不良品だったからこのザマ。 そのうち渡部恒三が昔この原発宣伝してた映像が出回るようになって議員辞職確定だろう。 佐藤雄平も県知事辞職or次期落選間違い無しだね。 福島にこの欠陥原発誘致をしていたのは、民主党の渡部恒三です。 かつて、前福島県知事・佐藤栄佐久さんは原発の安全性について問題提起したが、 収賄事件をでっちあげられて失脚した。 彼の後に福島県知事に当選したのは、渡部恒三の甥っ子で恒三の秘書だった佐藤雄平。 つまり、福島に原発を誘致したのは、民主党の渡部恒三とその一族だ。 福島のプルサーマル原発は佐藤雄平知事の下で先日稼働を始めたばかり。 福島弁丸出しを売りにする渡部恒三という国会議員は「原発を作って県民は長生き」と発言したことがある。 補助金がないと駄目な農業だけの福島と言いたかったのだ。 この人は厚生大臣時代に「タバコを吸うと健康に良い」とトンデモ発言で騒がれたことがあり、福島の選挙区にはタバコを作っている農家がたくさんあって自分に投票してくれるからと認めていた。 ・2010年8月6日東京電力が福島第1原子力発電所3号機(大熊町)で計画して いたプルサーマル導入について、受け入れを決定した。 プルサーマル受け入れにより「核燃料サイクル交付金」として計60億円が 交付された。 [以上で転載を終了する] 現在、民主党最高顧問である渡辺恒三の「原発を作って県民は長生き」発言は、いかにも彼らしい発言だが、いまだにその時の映像が放映されたり、責任を問うような報道がない。 平成の水戸黄門を気取って小沢批判をしたかと思うと、誕生日が同じだからと一緒にパーティにでたり、その変節ぶりは典型的な政治家そのもであり、いまさら驚かない。 前福島県知事・佐藤栄佐久のように、まともな人間の感性に目覚めて反原発を唱えると、 検察に冤罪事件をでっち上げられて失脚する。 ちなみに、佐藤栄佐久の著作「知事抹殺」(平凡社)にはどのようにして冤罪がつくられていくのか、そのプロセスが明らかにされている。 こうして私がブログを書いている間にも、静かにセシウムはこの国だけではなく世界に拡散して降り積もっている。 福島の子供たちがあびてもよいとされた年間20ミリシーベルトまでの放射線被ばく許容限度基準を文科省が設定した経緯が、実は福島県からの要請であったことがばれて、あわてて本来の1ミリシーベルトにもどしたことをみれば、もはや何も言うことはない。 私は政治に興味も関心もないので、選びたくもない候補者から無理やり選んで投票する選挙には行ったことがない。 投票率が50%を超えた選挙で、もし白紙投票が過半数を超えた場合に、その時の立候補者全員が候補者の資格を失い、あらたな候補者で選挙をやり直すような制度ならば、私は喜んで選挙に行く。● 今回もまた長いブログになってしまったので、ここでブログを終了する。 人に憑依して魂を眠らせ、世界に混沌とした戦乱状態を惹起させる”蛇のような血族”が、政治、経済、宗教などを操り、この世を一度、終末させようとしている。 その実態を、これからブログで明らかにしてゆく。 終末が成就される前に、蛇の血族は、それまで手足のように使っていた手下の犬たちを葬る。 これまで犯した罪のすべてを犬たちの悪行として断罪し、犬の魂が二度と地上に戻ってこれないように呪をかけて、永遠に葬る。 権力におもねる犬人間の末路は、哀れであり、悲惨だ。
◆エラリアン氏、米国債がデフォルトなら「重大」な法的問題も-CNN
[ブルームバーグ 06/27の 記事を転載] 6月26日(ブルームバーグ):債券ファンド最大手、米パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)のモハメド・エラリアン最高経営責任者(CEO)は、米国が国債償還で短期的にデフォルト(債務不履行)に陥れば、「重大」な法的問題が生じかねないとの認識を示した。 エラリアン氏はCNNの番組のインタビューで、米議会が法定債務上限14兆3000億ドル(約1150兆円)の引き上げに合意できず、単に「技術的な」理由から国債を償還できなければ、「われわれは予測不可能な領域に入ることになろう」と語った。同番組は26日に放映の予定。 米議会は、8月2日が期限とされる債務上限引き上げに向けた道筋を模索している。 同氏は「中期改革計画を踏まえ、結束してこの問題に取り組んでほしいというのが私のアドバイスだ」とした上で、「それができなければ問題を先送りすることになる。 問題を直視しないと、法的契約という点で壊滅的な状況を招きかねない」と語った。 ◆【米経済】アメリカをデフォルトに追い込む共和党の狙い How Republicans Brinksmanship Threatens Wall Street 政府の債務上限引き上げの条件に社会保障費の大幅削減を求める瀬戸際政策は、リーマン・ショック以上の危機を招きかねない。 [6月22日 デービッド・ケース(ニューズウィーク日本版)] 左派寄りのシンクタンク、経済政策研究センターの創設者でエコノミストのディーン・ベイカーの話には、耳を傾ける価値がある。 何しろ彼は、低所得者向け住宅ローン「サブプライム」のバブル崩壊を予測していた数少ない一人。 彼よりずっと高額の報酬を得ていたウォール街のプロたちが焦げ付き間近のサブプライムローンにカネをつぎ込み、巨額のボーナスをせしめていた頃、ベイカーはサブプライムローンが危機的な状態に陥ると力強く予言していた。 そのベイカーが今、アメリカにさらなる危機が迫っていると警告している。 オバマ政権は、連邦政府の債務上限を8月2日までに引き上げなければ、政府がデフォルト(債務不履行)状態に陥る恐れがあるとして、債務上限引き上げの容認を議会に求めている。 だが共和党は強硬に反対し、引き上げ幅と同程度の大規模な歳出削減を行わない限り、提案には応じないと主張。 ベイカーに言わせれば、共和党のこの「瀬戸際政策」は、アメリカ経済はもちろん、共和党の重要な支持基盤であるウォール街にも甚大な打撃をもたらす愚策だ。 ○ 金融界で数百万人が解雇される。 「債務上限の引き上げができなければ経済にとってマイナスなのは間違いない」と、ベイカーは書いている。 さらに、米政府のデフォルトは「08年9月のリーマン・ブラザーズの倒産以上に株式市場を揺さぶるだろう」として、先の経済危機以上に深刻な危機が訪れると予測。 金融市場は壊滅的な打撃を受け、人件費を払えなくなった企業は「何百万人もの従業員を解雇」せざるをえなくなると指摘している。 驚くべきことに、共和党はまさにそんな大混乱を望んでいるようだ。 彼らが思い描くのは、国家財政のデフォルトによって、メディケア(高齢者医療保険制度)やメディケイド(低所得者医療保険制度)といった社会保障コストの大幅削減をオバマ政権が受け入れざるをえなくなるというシナリオだ。 だがベイカーによれば、デフォルトが起きた場合の真の犠牲者はウォール街だ。 「国家がデフォルトに陥れば米国債の価値が下がり、ほぼすべての大手金融機関が破綻する」と、ベイカーは言う。 そして、その痛みは長きに渡って続く。 「経済が復活したとしても、アメリカの金融部門は二度と世界における現状の地位を取り戻すことはできない。 米政府という強力な後ろ盾がなければ、ウォール街の連中はもう二度と金融の国際市場で中心的な存在にはなれないだろう」 [以上で転載を終了する] いよいよアメリカが計画倒産する気配である。 Xデイは8月2日。かねてからの筋書き通りの展開である。 米議会での法廷債務上限の14兆300億ドル(約1150兆円)の引き上げが否決されることが、その引き金となる予定だ。 アメリカという国は、国家の成立そのものが極めて不自然であり、巷間に噂されるように、国際的な金融機関やその背後に控える特殊な勢力にコントロールされている疑似民主国家である。 西部劇でおなじみの、アラモの砦以来、ベトナム戦争のトンキン湾事件、など数え上げればきりがないほど自作自演して国益をあげてきた。1928年の大恐慌も含めて、結果的には人の好いアメリカ国民を犠牲にして特定の勢力だけが富み栄え、いまでは国民の4500万人余りがフードスタンプで毎日の食料を確保する状態である。 アメリカが発展途上国と並ぶ貧富の差の大きい国であることは、いまでは誰もが知るところである。 ちなみに日本も小泉首相が就任してからの5年間で、所得格差が大きく広がった。 FRB(連邦準備制度理事会)議長のバーナンキは、2006月2月に就任して以来、天文学的な額のドルを印刷して市場にばらまき、ついには禁じ手のFRBによる米国債の買い取りを行ってきたのだが、いよいよ“デフォルト(国家破産)”も視野にはいってきた。 アメリカの債務額が日本円で5000兆円余りあってもこれまでデフォルトしなかったのは、ひとえに強大な軍事力を背景にした外交政策のたまものであり、 性悪な男に貢ぐ愚かな女の役割をこれまで日本が果たしてきたからである。 しかし、アメリカは簡単には国家破産しない。 そのような、やわな国ではない。 「法廷債務上限引き上げ法案」が議会でもし否決されても、それはそれで想定内のことであり、いくつかあるシナリオの一つが実行されるだけである。 いつデフォルトしても、国際的な債務をチャラにする手筈は幾通りも準備されているので、 あとはいかに上手く芝居をするかだけである。 どのようにアメリカが計画倒産するのか、その時に日本や中国、ヨーロッパで起きる混乱が戦争に至らないよう、よくよく注意して見守ることが必要だ。 アメリカがこれまで“借金をチャラにする”ために周到に準備してきたシナリオについては、ここでは述べない。 (彼らがどのように計画倒産しても、結果的にはすべて失敗することを私は知っているので、彼らのシナリオについては書かない) 間違っても金やダイヤモンドが“生き残るための資産”になる、という戯けたことを喧伝して、あなたの財産を奪い取る輩とその手先に騙されないようにと、ここで念を押しておく。 これから起きる非常事態に、私やあなたのような庶民が金塊やダイヤモンドを持ったとしても、何の役にも立たない。 むしろ、そのような貴金属や宝石を持っていることが危険を招くだろう。 非常時に持つべきものは、生きぬく覚悟であり、大切な人を守る気概である。 それ以外のどんな財産や食料備蓄もあなたや私を守らない。 貴金属や宝石は、人の魂と人生を映すモノであり、(金銭には代えがたい)美しさを身にまとうことの喜びの象徴である。 宝石や貴金属を単に財産であるとして金銭に換算して保持するのは、心が貧しい者のやり口であり、本当に美しい宝石は身につかない。 もし、あなたがゴッホやモネの絵画を手に入れたとしても、その絵を楽しむことができなければ、心はいつも貧しい。 土地や家や、これまで財産であると信じられてきたものが、3.11の大震災の津波に流されて藻屑(もくず)のように霧散した光景を、あなたは目撃したはずである。 「世界が、もうすでに終わっている」ことにあなた気づけば、これまで財産だと思わされてきたモノが、幻のような価値であったと理解するだろう。
『異次元は存在する リサ・ランドール+若田光一』(NHK出版)を紹介する。
まず、リサ・ランドール (Lisa Randall)博士の紹介をしておこう。 1963年生まれ。 ハーバード大学卒業で専門は素粒子物理学、ひも理論、宇宙論。 プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学を経て、ハーバード大学物理学教室で教授に着任、現在に至る。 1999年、目には見えない5次元世界の存在によって理論物理学の難問を解決する方法を論文に発表して一躍注目を集めた。 その研究内容は科学者だけではなく多くの人びとを魅了し、著書『ワープする宇宙~5次元時空の謎を解く』は全米ベストセラーとなった。 今、世界で最も注目されている科学者である 余談だが、ランドール女史はかなりの美人であり、アメリカのファッション雑誌の表紙に掲載されたこともある。 (ランドール博士と本の中で対談している)若田光一は、日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA)に所属する宇宙飛行士である。これまでに3度、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトルに搭乗して宇宙飛行ミッションを行った。 若田光一が通算の宇宙滞在期間159日10時間46分は、2010年に野口聡一が更新するまで日本人最長記録だった。 二人が対談した本の冒頭の紹介文から引用する。 5次元世界とは何か 「わたしたちの暮らす3次元世界は、人間の目には見えない5次元世界に組み込まれている」―1999年、人類の世界観を覆(くつがえ)す概念を発表し、一躍世界の注目を集めたのがリサ・ランドール博士である。 博士はアメリカ・ハーバード大学で数式を使って物理の法則を研究する理論物理学者だ。 「5次元世界は3次元世界の縦、横、高さに時間、そして5番目の次元方向への距離で表わされる」ということを示す博士の数式は、現在、世界の物理学者たちの論文に最も引用されている理論である。 アメリカの雑誌「ニューズウイーク」も2006年のキーパーソンにランドール博士を選んだ。 「人間が5次元世界を実感することはできませんが、私は存在すると信じています」と ランドール博士は語る。 未知なる次元との出会いは、人類に何をもたらすのか。 そのランドール博士のもとを宇宙飛行士の若狭幸一さんが訪れた。 「無限に広がっている宇宙空間を見ていると、本当に存在しているものは、わたしたちが見えるところにあるものだけなのだろうか、という疑問を抱くことがあります。 ランドール博士の提唱する5次元やさらに高次元世界の存在―深宇宙を眺めていると、そういうものの存在をつくづくと感じる機会がありました」と語る若田さん。 ハーバード大の研究室で、若田さんがランドール博士に異次元世界の存在と可能性について聞く。 ~中 略~ 若 田 わたしたちは、膜のようなものにぴったりと貼りついている、という話をもう少し詳しく聞かせていただけますか。 ランドール わたしたちの研究グループでは、5次元や6次元などの高次元世界には、「ブレーン」と呼ばれる膜のようなものが存在すると考えています。 わたしたちの頭のなかにある「ブレーン(脳)」ではなく、「メンブレーン(膜)」を短くしたものです。 そしてわたしたちの暮らす3次元世界は、この薄い膜のようなものであるということがわかりはじめてきたのです。 若 田 わたしたちの住む3次元世界が膜のようなものだとすると、わたしたちや、わたしたちを構成する原子などの物質はどこにあるのですか。 ランドール わたしたちは、その膜に貼りついた原子などの物質によってつくられていると考えられます。 もう少しわかりやすく言うと、高次元世界における膜は、バスルームにおけるシャワーカーテンのようなもので、わたしたちや原子などの物質はそのシャワーカーテンに貼りつけられている水滴だと考えることができます。 若 田 シャワーカーテンがわたしたちの住む3次元世界だとすると、バスルーム全体が高次元世界だということですね。 そして、わたしたちはシャワーカーテン上の水滴だと。 ランドール そうです。 水滴がシャワーカーテンに貼りついて下に落ちていくのと同じように、わたしたちも3次元世界のなかを移動することはできます。 けれども、その水滴がシャワーカーテンからバスルームに飛び出すことができないように、わたしたちも5次元や6次元などの高次元世界に飛び出すことはできないのです。 若 田 その膜はスライスしたパンでもイメージできるとか。 ランドール そうですね。パンの塊をスライス状に切ってみると、スライスになったもののうちの一枚が3次元の膜、つまりわたしたちの暮らす3次元世界と見なすことができます。 そして、わたしたちの存在する膜以外にも膜は存在するかもしれません。 つまり、ほかの一枚一枚がまた別の3次元世界であり、そのパンを取り巻く空間が高次元世界です。 さらにわたしたちのパンの隣りのパン、つまり別の3次元世界には何か別の生き物が棲んでいるかもしれない……というふうに想像は広がっていくのです。 [以上で本からの転載を終了する] 私が往還する「あの世・異界」が、ランドール博士がいう5次元世界とまったく重なっているのだとは、残念ながらまだいえない。 しかし、やがて最先端の物理学の研究によって、私の体験がこれまでのように 「あくまでも個人的な体験であり、異界で目撃したという景色や出来事が信憑性(しんぴょうせい)に欠ける」として一蹴(いっしゅう)されることも無くなるかもしれない。 現時点では、私に起きたことは私の真実ではあっても、誰もが認める客観的な事実ではない。 私が異界への往還も含めて、そのことを長い間、語らずに来た理由の一つに、私自身が私の見た異界を客観的な世界の事象だと確信できずにいたからでもある。 異界での様子をできるだけ客観的に他人に語ろうとすればするほど、異界でのリアルな何かから遠ざかるようであり、言外のイメージばかりが先走るジレンマにおちいったのだ。 さらに、異界から「この世の終末の光景」を繰り返し見てからは、そのような事を受け入れがたいこととして、私は異界を「私個人の無意識に存在する神話のような物語の領域」としてとらえ直し、私が往還する異界が客観的な世界であるのかないのかを、問わないようにしてきた。 しかし、四十数年間にわたって様々な異界を何度も訪ねて、その独自な気色や存在の仕方と、異界に留まるそれぞれの魂の様子を見ていくうちに、「この世界」と「あの世」が、実はメビウスの輪のように表と裏が一つに繋がっていることに気づいた。 あの世とこの世は、連環する一つの事象であり、一つでありながら人には表と裏のように二つの相反する事象のようにみえる。 たとえれば、陰陽の対極図のように、一つの根源が二つの相反する陰と陽の力に分かれているとみえて、実は太一であることと同じである。 わたしたちが住んでいる世界と、異界をつなぐのはイマジネーションであり、イメージ力こそが、実は創造力の根源的な力である。 「あの世」と「この世」は、もちろん合同ではないが、かといって相似でもなく、「この世の事象」と「あの世の事象」が、往還する人の魂を反映して、互いに擬(もど)きあい、響きあい、それぞれの界に応じた事象を引き起こすのだ。 △を天上世界(異界)から降り注ぐエナジーとみれば、▽は地上界から天上世界に立ち昇るエナジーにみえて、二つの三角が重なる六芒星の形こそが、象徴的にこの世と異界の交流を表している。 異界での具体的な出来事や、景色については徐々にこのブログで明らかにしていく。 「私たちが住んでいるこの世が、実はもうすでに終わっている」ことも、様々な比喩をもちいて、話そう。 私のいう世界の終末は、おそらく、あなたが思うような終末ではないので、人の生き死に関する現象もふくめて語っていく。 ★ いつも私の長いブログを読んでいただき、心から感謝する。
ブログ「モノディアロゴス」
6月25日の記事から転載 意外や意外! 『 今朝の新聞第一面を見て、驚いた。 原発避難者調査で、原子力発電を利用することに反対70%、賛成26%、その他・答えないが4%だったという。 驚いた。これをまとめた新聞(記者)自身は特に驚いている風には読めないけれど、私自身は実に驚いた。 私の予想は、反対85&%、分からない・答えないが15%で、賛成など一人もいないだろうと思っていたからだ。 私の予想通りだとしたら、どこかの知事さん、なんてぼかす必要も無いか、石原都知事なら、またもや集団ヒステリーなどと言ったかも知れないが、実際のアンケート結果に都知事がどう反応したかは知らない。 たぶん妥当であると見ているか。 あるいはどこかの新聞の編集委員氏のように、これは市民の成熟度を示す数値だとでもコメントしただろうか。 それで本当のことを言えば、このアンケート結果を見て、かなりきついことも言わなければならないので、偽校長、偽市長、さらには偽総理に倣って、今回は一人の偽避難者をでっち上げ、彼女(彼でもいいが)宛ての私信を装おうとしたのだが、その人物像設定がどうもうまくいかない。 たとえば彼女はかつての教え子の一人で、だんなは東電の下請け会社の社員、子どもは高校生の長男と中学生の次男の二人、といった人物像を設定してみたのだが、彼女自身のイメージがはっきりしない。 もちろん私は小説家ではないので、それは潔くあきらめ、個別に問題点を指摘することにしよう。 たとえば、新聞などの避難者の近況を伝えるコーナーに、おやまあ、といった避難者がいる。 一例を挙げれば我が原町区のように家屋損壊もなく、電気も水も通っているのに、相変わらず福島市の避難所で暮しているような人たちのことである。 放射能が怖くてー、もう三ヶ月も家に帰れないでいるの、などと首を傾げたくなるようなことを言っている。 私が身内なら、おいおいもういいかげん避難所ごっこはやめて、家さ帰ってこねかー、と言うであろう。 放射能が怖いことは事実だろうが、しかしそれ以上に、自分がいま新聞・テレビで連日放送されているもっともホットな話題の渦中にいることに不思議な安心感を持っているとしか思えない。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」の心理である。 もちろん支援者からの親切、そしてそれまで触れ合うことの無かった人たちとの不思議な連帯感、それは確かにすばらしい、しかし一日も早く自分の足で、自分の判断で自立しなければならないのではないか。 避難所に現在何万人の人がいるかどうかは知らないが、私の予想ではそのうちの一割、つまり十人に一人は擬似避難者ではなかろうか。 もちろん私には、そのような人を咎める気など毛頭無い。 大きな括りでは被災者・犠牲者であることに間違いないからである。 しかしその人たちのためにも、一日も早く自立への道に踏み出して欲しい。 社会というものは(もちろんそこには報道する側が含まれる)、一見親切で思いやりが深そうに見えるが、しかし本質的には傍観者で無責任なものである。被災者の実情を顔を曇らせて報道していたと思ったら、次の瞬間、瞬時に頭を切り替えて、時にはにこやかな笑みさえ浮かべて「さて次のニュースは…」と、あたかも何ごとも起こらなかったかのように、冷淡に次の話題に移れる人たちなのだ(もちろんそれは職業的訓練の賜物なのだが)。 ときどき若いお母さんたちが、将来この子が被災者だったということで差別されたり結婚できなかったりしたら可哀相、などと涙ながらに話す姿を見かける。 それについてはだれも表立っては言わないが、そんな風評で差別してくる奴なんぞにこの可愛い娘をだれがやるもんかい!くらいの真の親心・気位を持って欲しい。 つまりそんな世間の風評や冷淡さをものともしない、たくましい、そして魅力的な子どもに育てることの方が、はるかに大事なことなのだ。 と言った具合に、老婆心ならぬ老爺心から言いたいことはたくさんある。 しかし今日は、先ほどの問題に戻って終わりにしたい。 つまり被災者なのに、原発を今後も操業することに賛成する人たちにこれだけは言っておきたいのだ。 以前、貧しい炭鉱夫の一家を描いた映画「我が谷は緑なりき」に触れて言ったことだが、彼らは一家を支えるために、今日もまた落盤の恐怖におびえながら地下道に入っていく。 東電の社員も危険な作業だと分かっていながら、町には他の雇用が無いから、仕方なく原発現場で働いている。 しかしそこは決定的な違いがある。 つまり炭鉱夫の危険は自分ならびに同僚たちの死の危険だが、東電の社員の危険は(というより危険な作業は協力会社の社員がやるらしいが)、事故の場合、単に自分ならびに同僚たちの死だけでなく、たとえば今回の事故のように、自分たちと関係のない多数の人たちの生命や人生を奪う危険に繋がるということである。 正直言うと、今回のアンケート結果を見て驚いただけでなく、怒りをこめた悲しさを味わっている。 それほどまでに東電に恩義を感じているのか、そこまで東電によって洗脳されているのか、もっと辛辣に言わせてもらえば、それほどまでに自分たちの生活のことしか考えていないのか、という怒りである。 こんな辛く悲しいことを、だれもあえて言わないのか、それとも言えないのか。』[以上で、ブログからの転載を終了する] 五日ほど前に、私は「南相馬市に住む元大学教授の覚悟〈週刊現代7月2日号の記事〉」を要約して、このブログで紹介したが、その時に知ったブログ、「モノディアロゴス」を見るようになった。 わかり易い言葉で、淡々として日常生活を書いてゆくその筆力や構成力もさることながら、 老哲学者の眼差しの柔らかさと、論点の鋭さに、ただただ脱帽するばかり。 私も還暦を迎えて、ようやくにして枯淡の境地・・・などという思いが吹き飛ばされた。 生きる覚悟をしっかりと腹にすえた先哲の前では、私は門前の小僧に過ぎない。 私は、このブログでも再三、述べているように、「16歳の時から体外離脱を繰り返し、この世の終末を見た」と公言する変わり者であり、生まれながらの異端者である。大津波に次々に人々が家と町ごと呑み込まれていくテレビのライブ中継と、福島第一原発が次々と白煙を上げて爆発するニュース映像を見て、「もうすでに、世界は終わっている」とブログに書いた。 私の見た「異界の風景」と「異界からの眼差し」を60歳になって、ようやく語ろうとしているのだが、体外離脱を数百回も繰り返して往還した「あの世の異界」と、「この世の現世」を適切に表現する術(すべ)がない。 哲学者、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』がいう「語りえないことについては、沈黙しなければならない」を戒めとして、3.11まで守ってきたが、自らをシャーマンと位置づけて語ることにした。 私は世間がイメージする「終末論」や「黙示録」を語ろうと目論んでいるのではない。 そもそも、私が観た「世界の終わり」は、天変地異や戦争などの災禍によって人々が次々に死に絶えていく光景ではない。 このブログで、徐々に明らかにしてゆくが、実は「世界は、もうすでに終わっている」のだ。 これからどのような天変地異が起こるのか、起こらないのかに、関わらず、現世(うつしよ)は、すでに終わっている。 老哲学者のブログのタイトルである「モノディアロゴス」の由来が、ブログに記載されているので、ぜひブログで読んでいただきたいのだが、その由来の中で、スペインの詩人で哲学者のミゲル・デ・ウナムーノ(1864-1936)に関する記述があったので、ここに彼の文章を載せて本日のブログを終了する。 ウナムーノは書いている。 ~「スペインの哲学というものがあるだろうか? あるのだ、それはドン・キホーテの哲学である。」 「もしもドン・キホーテがふたたび世に戻るとしたら、羊飼いとしてであろう。 あるいは戻ってきたときに羊飼い、諸民族の牧者となろう。 そして彼は、愛が概念を与えることを求めるであろうし、概念を生かし勝利させるためには、かっては風車に突進したり漕刑囚たちを解放するために費したすべての大胆さと勇気を傾けるであろう。 そしてわれわれにとっていま彼が必要なのだ。 なぜならばわれわれをかくまで卑屈にしているものこそ、臆病な思考だからである。 それは永遠の問題に直面しまいとする臆病さであり、心の中を掘り下げまいとする臆病さであり、われわれの永遠の魂が有する内心の不安をかき立てまいとする臆病さである。~
今、世界と日本で起きていること
★ ROCKWAY EXPRESS ヨーロッパとアメリカ:世界的債務危機 [6月22日の記事の一部を転載] ギリシャの債券問題にゆれるヨーロッパはBRICSからの支援や民間投資家らを巻き込む事でその延命を図ろうとしている反面、「ユーロ危機」を演出したイギリス、アメリカ側が反対に格下げなどの問題に見られるように、弱体化がはっきりしてきた。 アメリカは債務の上限を決めなおさねば、やりくりできなくなることがはっきりしている。 アメリカのデフォルト、という問題が現実になってきている。 これに対して、考えられる対処の仕方は、新札発行とその新札と旧札の交換を自国民だけ(アメリカ人)に限る大統領令を出し、アメリカ政府などの持っている外国に対する債務をチャラにすることである。 そのようなことが起きた場合、アメリカに対して怒鳴り込みたいのが人情だろうが、なにせ世界最大の軍隊を持つ国に戦争を仕掛ける国は存在しないであろう。 この世界経済の大混乱時代、と今回の日本で起きた東日本大震災とは、別々の出来事ではあるが、根底では繋がっている、と見ている。 つまり、このブログでずっと主張してきた、世界の根本的変革が始まるのが、これからの時期である、ということであり、我々一人ひとりが今までの生き方や人生観の根本的な変革を余儀なくされていく時代にはいりつつある、ということ。 ★ 世界の真実の姿を求めて! [6月25日の記事の一部を転載] 福島原発の放射能汚染水については、作業員とトップだけしか知らない。 「遮水壁」について、東京電力は、汚染水が海まで到達するには時間がかかり、危機的な状況にはないとしている 原子炉建屋に「遮水壁」を建設することにも、極めて消極的。 「遮水壁」を作らないで汚染水を垂れ流すことをまるで容認しているかのようです。 すでに10万t超という気の遠くなるような量。 それが放射性物質で汚染されているのだから、冷却以外の収束作業がはかどらず、工程表の実現が疑問視されるのも無理はない。 しかも異様なのは、この水の汚染の詳細について、ろくに情報が明かされていないことだ。 金沢大学大学院教授の太田富久氏(生命科学)は言う。 「私たちは『汚染水処理研究チーム』を結成して調査を進めています。 しかし福島第一原発に溜まっている水に、どんな放射性物質がどれだけ含まれているかはわかりません。 そこで情報開示を求めたのですが、政府は応じない。サンプル提供も断られています。 高濃度汚染水なのは明らかですが・・・」 「汚染水の処理技術は、原子力とは関係がありません。 化学物質の除染方法を使えば済む話で、いろんな技術が日本には蓄積されています。 アレバだけに頼るのではなく、原発は1号機から4号機まであるのだから、複数の処理方法を使えばトラブルのリスクを減らすことができるはずです」 外部の第三者の関わりを嫌がっている? チェルノブイリを経験したロシア政府も日本に技術提供を申し入れたが、日本政府は興味を示さない。 『プラントの製造は簡単だし、テレビ電話で無償でノウハウを提供する』と言っています(ロシア関係者) 高濃度の放射能汚染水1万tが地下へ---。 背筋が凍るような話だが、驚いたことに政府は、この重大問題についてもほとんど情報を開示しようとしない。 ★ カナダで日本語 [6月25日の記事の一部を転載] 加來道雄教授によれば、福島第一原発の状況は政府発表よりもずっと悪化している。 「福島第一原発は、チクタクと時を刻む時限爆弾」というエントリーでも紹介させていただいたニューヨーク市立大学シティカレッジの物理学者、加來道雄(かく みちお)教授が2,3日前にCNNに出演していたので、そのインタビューの動画を紹介したい。 加來道雄教授は、CNNのインタビュアーに福島第一原発事故の現状を聞かれると、いまだに時限爆弾を抱えた危険な状態で、爪だけで崖にぶら下がっているのと同じ状況であると再び強調した。 海外のニュースでもほとんど伝えられなくなったため、米国人は福島原発は、危機を乗り越えたか、問題は全て解決されたと思っているらしい。 しかし、加來教授は、ここ2週間で、福島原発の状況が悪化していることが明らかになったと語った。 これまでは、部分的なメルトダウンが3基の原子炉でおこっているといわれていたが、実際は完全なメルトダウンどころかメルとスルーとなっている。 放射線の量もこれまでは最小限度に収まっているといわれてきたが、実際は、チェルノブイリの放射線量を超える勢いだ。 避難範囲に関しても、最初は原発から20キロ以内のみとされていたが、現在では、避難範囲の外側に4箇所のホットスポットが見つかり、3万4千人の子供たちは、学校に行くとき、線量計を持たされている。 IAEA、日本政府、東電は事態を過小評価して発表していたが、実際は、真実の状況を知っていたはずだと加來教授は断言している。 それにもかかわらず、ハッピー・フェイスを装っていたと語る。 ★ 独立行政法人 産業技術総合研究所 [06月24日の記事の一部を紹介] サマータイムや昼の打ち水は節電効果なし、産総研が節電対策の効果を測定 東日本大震災に伴う福島第一原発の事故などにより、この夏は電力不足が予想されています。すでに各企業・自治体などが節電対策としてさまざまな対策を発表していますが、多くの企業が導入しているサマータイムや地域のイベントなどで行われる昼間の打ち水は電力消費の低減にはつながらず、かえって消費を増やしてしまうことさえあることが、産業技術総合研究所の発表により明らかになりました。 また、電力需要が供給をオーバーした際に行われる可能性のある計画停電についてもシミュレーションが行われ、大がかりな手段を取っているにもかかわらず、総合的に見ると効果が薄いという結果も発表されています。 [以上で、転載を終了する] 世界には三つのウソがある。 自分を守る嘘、人を欺(あざむ)く嘘、そして人を庇(かば)う嘘だ。 今、世界やこの国にあふれている嘘は、自分の立場や利益のためにつく嘘ばかりで、嘘の質の低下が著しい。 本日収監されたホリエモンのモヒカン頭をテレビで見て思わず笑ってしまったが、いつまでたっても大人になれない男の精一杯の虚勢もまた、自分につく嘘である。 この世に「神」をねつ造して人の心を縛る宗教も嘘なら、政治家ができもしないマニフェストを掲げて票を獲得する嘘も底が割れている。 騙されて笑える嘘なら我慢もするが、目に見えないことをさいわいに放射能を垂れ流して安全だという嘘は許されない。 原発事故の評価レベルが4から最高の7に成っても、さもありなんと笑ったが、6月の初めに原発から放出された放射性物質の総量が、実は37京ベクレルから80京ベクレルあまりであったとニュースが報じた時には、驚くよりは、あきれた。 3.11以降、この国には嘘と放射能が蔓延した。 放射能に汚染された野菜や茶葉が報じられるたびに、基準値を上げろと政府に要請する恥知らずな地方自治体の長や、右顧左眄(うこさべん)する振りをして、実は何も決定しない政府の対応をみれば、嘘つきなのは東電だけではないことが誰の目にもあきらかだ。 そもそも原発が安全だと心から信じていた大人が本当にいたのかと?私は疑っている。 事故が起きるまで、国民の大多数が原発の危険性に無関心ではなかったのか? 本当に安全で無害なら、電力消費地のそばに原発を作れば莫大な送電線施設の費用が軽減されて、電気料金はもっと安くなるはずだ。 原発事故が起きてから、こんなに危険だとは知らなかった!と騒ぐより、己の不明を恥じて、これ以上、子供たちを被ばくさせないことだ。 子供や老人を守れない国は、自壊する。 どうでもよいニュース(ホリエモンの収監のような)を垂れ流して、”視聴者に節電をうながす”テレビ局が、平気で24時間テレビなどの長時間番組を放映して、莫大な電力を消費する欺瞞(ぎまんー嘘)にはあきれるばかりだ。 まずは、自ら節電の範を示して、放送時間を短縮したらいかがか。 まだ使えるアナログテレビを大量に廃棄させて、デジタルテレビに買い替えさせることが、地球環境を守るエコだと強弁することの、誰かにとって都合の良い嘘を、私たちは本当に信じているのか? 使えるものを、壊れるまで手入れして使い切ることがエコではないのか。 3.11の事象は、あなたが思っているほど簡単には収束しない。 世界は、人の想いでつくられている。 あなたの想い(イメージ)が、世界の事象を生み出していることに気づけば、嘘と放射能で汚染されつつある世界を変えることができるかもしれない。
映画「ベルリン・天使の詩」の死界感覚
このブログで、何度も説明しているように、人は死んでから「この世」と「あの世」の中間に在る中有(ちゅうう)の領域=チベット密教でいうバルトの世界に往き、ほとんどの霊魂はまた地上に舞い戻る。 世間で「あの世」と思われている世界は、実はバルト界のことを指していると思われるので、これからは、中有・バルトの世界を便宜上、「あの世」と呼ぶことにする。 私のように16歳から始まった「体外離脱体験」によって数百回にわたって異界を訪問したものから見れば、哲学者(この国では哲学を紹介する人はいても、哲学者は一人もいない)が、死界感覚(ネクロマンシー)で、この世を異界から眼差す論法で語るのをみるとき、大いに失望する。 生と死の位相を逆転させて、この世に生きることの意味を考えることが間違っているというのではない。 自分が体験したことのない世界をイメージで語り、そこから死者の目でこの世を語ろうという、その目的が透けて見えるような、パースペクティブが破綻していると言いたい。 哲学や心理学では語り得ない「異界からの眼差し」のリアルな断片を、詩的で幻想的な色彩と映像で表現した映画がある。 ドイツの巨匠、ヴィム・ヴェンダースが1987年に撮った映画 「ベルリン・天使の詩」である。 (映画の物語を要約する) 物語はベルリンの街で地球の歴史が始まって以来、人々を見守り続けてきた天使ダミエルがある日、サーカス小屋に迷い込み、そこで空中ブランコを練習中の美女マリオンに一目ぼれする。 ダミエルは親友の天使カシエルに天使の永遠の生命を捨てて、人間になりたいと相談するのだが……。 映画は冒頭に、ピーター・ハントケの詩から始まる。 『子供は子供だった頃 腕をブラブラさせ 小川は川になれ 川は河になれ 水たまりは海になれと思った 子供は子供だった頃 自分が子供とは知らず すべてに魂があり 魂はひとつと思った 子供は子供だった頃 なにも考えず 癖もなにもなく あぐらをかいたり とびはねたり 小さな頭に 大きなつむじ カメラを向けても 知らぬ顔 子供は子供だった頃 いつも不思議だった なぜ 僕は僕で君ではない? なぜ 僕はここにいて そこにいない? 時の始まりは いつ? 宇宙の果ては どこ? この世で生きるのは ただの夢? 見るもの 聞くもの 嗅ぐものは この世の前の世の幻? 悪があるって ほんと? 悪い人がいるって ほんと? いったい どんなだった 僕が僕になる前は? 僕が僕でなくなった後 僕はいったい何になる?』 天使はダークコートを着て、モノクロの人間世界を記録し続けている。 ある時は絶望に満ちた人のそばに座り(人間からは見えないけど)、希望の光を心に灯す。 子供たちには彼らが見える。 ごく普通に笑顔を向けて、話しかけたりする。 図書館は彼らの憩いの場。 人が心の中で読む詩人の言葉や物語を、音楽のように聞く。 ある時、人間になっていろんなことを体験したいとある天使が考えはじめる。そんな時、街中である男が話しかけて来る。 彼は大人なのに、天使が見えるようだ。 『見えないが、いるな? ずっと感じてる。君の顔が見たい。 こっちがどんなにいいか、教えてやりたい。 冷たいものに触る。いい気持ちだよ。 煙草を吸う。 コーヒーを飲む。 一緒にやれたら、言う事なしだ。 絵を描くのもいい。 鉛筆を持ち、太い線を引く。 それから細い線、二本でいい感じの線になる。 手がかじかんだら、こすり合わせる。 これが、またいい気持ちだ! 素敵な事が山ほどある。 でも君はいない。僕はいる。 こっちに来たらいいのに。 話ができたらいいのに。 友達だからさ(手を差しだす)。 カンパニエロ!』 彼は元天使だった男で、今は人間になり、人生を楽しんでいるのだ。 ダミエルが偶然入ったサーカス小屋で、空中ブランコを練習中のマリオンに出会う。 彼は彼女の内心―思い悩んでいるありさまーを知る。 ここから、それまでのモノクロの画面から突然、カラーへと変化する。 天使ダミエルの眼差しが変わったのだ。 苦悩する一人の美しい女性と出会ったことが、彼の世界を一変させた。 マリオンの属するサーカス団が解散することになり、彼女は最終公演後、ロック・コンサートを訪れる。彼女はひたすら踊り続ける。 物語の終わりに、ダミエルが天使であることを拒否し、人間に生まれ変わる。 これまで天使であったダミエルとは180度さま変わりして、彼の表情が生き生きとして行動力にあふれ、命が躍動する。 彼はポツダム広場にある屋台のコーヒー店で熱いコーヒーを飲み、さらには服を新調した。 こうして生まれ変わったダミエルは、天使時代に想いを寄せていたマリオンとロック・コンサートの会場で再会する。 マリオンはこう打ち明ける。 「これまでの私の人生はすべて偶然から成り立っていたの。でも、夢の中で見たあなたと、こうして出会ってようやく決心したわ。あなたしかいないことを。偶然の人生はもうおしまい…」。 一方のダミエルも男と女の新しい歴史が始まったことを実感する…。 私がこの映画を見たのは、もう二十数年前になるだろうか。 「ベルリン天使の詩」の監督、ヴィム・ヴェンダースは、「東京物語」の監督、小津 安二郎(おづ やすじろう)に深く傾倒し、影響を受けた。 私は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した「パリ、テキサス」を見ていたので、映画の内容をあらかじめ知らないまま観たのだが、「異界からの眼差し」で地上を見下ろす地上世界の幻想的な描写の仕方に驚いた。 異界の天使たちは、まるで寄り添うようにして「この世」に浸透して、生者のかたわらに寄り添っている。 そのことが始めて明らかになる図書館でのシーンは圧巻である。 私がこのブログで述べてきたように、死者の往く「あの世」が「この世」から遥か彼方の位相に在るのではなく、あくまでも「この世」に重なるかのようにして在るのだ。 平田篤胤(ひらたあつたね)や柳田國男の幽冥論を引き合いに出さずとも、この映画が持つ「リアルな他界からの眼差しによって現れる地上世界」のありようをみれば、一目瞭然の感がする。 天使たちがいる世界を生者は見ることができないが、子供たちには見える。 「あの世」から、「この世」は見えても、地上から異界は見えない。 異界の側では、完全にこの世の〈内部〉、生者の奥の奥底まで見通し、自由に異界と地上を往還している。 天使たちが「この世」の位相に近接して、地上の人々を見る眼差しは憂鬱(ゆううつ)で哀しい。 ある時は大聖堂のてっぺんから、あるときは人の往来の真ん中にある次元の異なる場所から、天使たちは、まるでこの世をいとおしむかのように、生者たちの悲喜劇を眺めて暮らす。 私が、わかり易い“たとえ”や“物語”のような比喩を用いて、もっとダイレクトにあの世」を語らないのは、「あの世」をこれまで世間に流布されたイメージや、誰かの受け売りの概念を前提にしたままでは理解できないからであり、言葉の限界が「あの世」の事象の限界に重なることを危惧するからだ。 このブログで私が紹介する本や映画を見ていただければ、あなたは少しずつ「異界の様子」が分かるようになるので、もしあなたに時間があれば、「ベルリン天使の詩」を観たり、これからブログで薦める本を読んでいただきたい。 余談ながら、溝口健二、小津 安二郎、黒沢明の三人の映画監督は、国内より国外での評価がきわめて高く、今も映画作りを目指す世界中の人々が彼らの作品から学び続けている。 近頃活躍の北野武監督は、映画「花火」を撮ってから才能が枯渇したのか、最近の映画は素人作りの駄作ばかりである。かつての才能のカケラもない。 実につまらない暴力映画ばかりで、「花火」を撮った同じ人の作品が、どうしたらここまでレベルが落ちるのか?不思議である。 ひょっとしたら?北野武は”アート“を担当する役割の”ヨーロッパから派遣された犬!?“かもしれない。 そうでないことを願って、本日のブログを終了する。
★小出裕章が考える「原発と闘う小さな島の30年史」
2011.06.21 取材・文/足立力也、北村尚紀(ZaK SPA!)より転載。 『瀬戸内海に浮かぶ小さな島、山口県上関町祝島。約500人の島民が、主に漁業や農業を営んで生活している。’ 82年、この島の対岸3.5kmにある田ノ浦地区に、上関原発の建設計画が持ち上がった。 反対運動の中心として活動してきた漁師の山戸貞夫さんはこう語る。 「島の漁師たちが、中国電力に小旅行だといって伊方原発(愛媛県)に連れていかれ、原発の経済効果と安全性を説明されたんじゃけど…。 地元の漁師に聞いてみると、カネをもらったはいいけど、海の温度や海流が変わったからか、それまでみたいな漁ができんくて困っちょるという。 こりゃ海を壊すし、いかんわと思った。海はカネには換えられん」 地元8漁協のうち、祝島漁協だけが約10億円の補償金受け取りを現在まで拒否している。 「漁獲高に影響があるだけじゃなく、風評による値崩れも心配。それに、祝島では釣り客を漁船に乗せる遊漁業も盛ん。原発の前で誰が釣りをしたいかね?」(山戸さん) 島民のなかには、福島原発で働いていた者もいた。 原発での労働現場がいかに危険かを聞いた彼らは危機感を募らせ、「愛郷一心会」(現・上関原発を建てさせない祝島島民の会)を立ち上げた。 原発問題は町長選や町議選で常に最大の争点となり、建設推進派と反対派で町を二分する大論争となった。 島民たちは議会を傍聴のため町議会のある長島へおしかけ、推進派議員に抗議した。 毎週月曜日に行っている島内での反原発デモはもうすぐ1100回になる。 強行される中国電力の現地調査や工事に対して、漁師たちは漁船を出し、体を張って阻止行動を続けた。 原発建設の趨勢は止められなかったものの、こうした現場での奮闘が建設を遅らせ続けてきたのだ。 ’10年9月から、中国電力は本格的に田ノ浦の埋め立て工事を強行し始めた。 中国電力の作業員たちと祝島の島民たちが、海上で顔を合わせた。 双方激しく口論し、年配の女性が歌を歌って抗議する。 中国電力側は警備員を大量に雇って人間バリケードを作り、その中で作業を進めようとする。 その過程で、島の女性が作業員に押され、怪我をする事件が起きた。 現場にいた中国電力の社員は全く動かない。 結局、海上保安庁の船が搬送したが、これには島民も怒り心頭に発した。 福島第一原発事故後の3月15日、中国電力は工事中止を発表。 しかし、散発的に発破作業を続けるなど、事態は予断を許さない ある推進派の町民が口にした言葉が、山戸さんの耳にこびりついている。 「命が惜しくてカネがもらえるかね!」 原発建設計画が持ち上がった約30年前に比べて島の人口は半減、高齢化も進んだ。 仕事がないため若者が島に戻ってこず、医療や介護問題も深刻になる一方だ。 「カネを餌につけ込まれて原発経済・補助金行政に依存しないよう、経済的にも自立を目指さんと」(山戸さん) 山戸さんの息子・孝さんは、中学を卒業後、島を出て大阪で就職したが、島に戻ってビワを食べ、そのおいしさに「これで食っていける」と自信を持ち、Uターンを決意したという。 ビワは無農薬栽培で、葉を加工した「ビワ茶」も作り始めた。 ひじきや干し大根などとともに直販で高い評価を受けている。 「何とか軌道に乗ってきました」(孝さん)。 北海道で肉牛を飼育していた氏本長一さんもUターン組。 現在、祝島の代名詞のひとつでもある「棚田」の再生を目的とした循環型農業を実践中だ。 「島には、耕作放棄されて荒れ放題の棚田がたくさんあります。 まずそこに牛を入れて雑草を食べてもらいます。 その後で豚を入れると、土の中の草の根やミミズを食べようとして鼻で土を耕してくれます。重機などでやるよりもずっと効率がいいし、家畜の糞が肥料にもなります」 家畜の餌はほかに、売り物にならないビワや家庭の生ゴミ、畑で余った野菜などを与えている。 「おかげで、島外に送って焼却処分をしていたゴミの量も減り、一石二鳥です」(氏本さん) 安全な飼料を食べ、完全放牧で健康的に育った家畜はブランド肉となり、東京の一流レストランに高値で仕入れられている。 また、牛や豚が棚田から逃げないよう張り巡らされた電線は、自家用の太陽光パネルから給電されている。 島にはもう一つの悩みがある。 人口の約4分の3が高齢者。介護問題が重要な課題となっているのだ。 原発推進派の多い他の地域では補助金が投入されているが、どれもハコモノ建設ばかりで行政サービスは貧弱。 そこで、島民たちは自分たちで高齢者介護を完結させるべく、ホームヘルパー講習を集団受講した。 ’04年には約20人がホームヘルパー3級の資格を取り、’09年には約10人が2級を取得。空き家を利用した寄り合い所も建設中だ。 「民宿くにひろ」の国弘公敏さんはこう語る。 「行政に頼れば、そこにつけ込まれてしまう。 それなら島の年寄りは島の人間が面倒を見ようと。それに、そのほうがみんな幸せなんじゃないかな」 さらに島民たちは、エネルギー自給も目指し始めた。 孝さんが中心となり、「自然エネルギー100%プロジェクト」が始まったのだ。 「危険な電気の押し売りはいらない。 『結局、あんたらも原発の電気をもらっちょるじゃろが』と推進派からよく批判されますが、じゃあ自前で作ろうということになりました。 島内外から出資者を募り、その基金をもとにして太陽光パネルなどでエネルギー自給しようというものです」(孝さん) 環境エネルギー政策研究所(!SEP)など、外部団体もこのプロジェクトを後押しした。 孝さんは「でも、そもそも代案を出さなければ原発に反対してはいけんのじゃろうか?」と言う。 「代案がなければ危険を一部の人に押し付けていいというほうがおかしい。代案を出すよりも前に、反対する権利があると思う」 40年にわたって原発問題に警鐘を鳴らしてきた京都大学原子炉実験所の小出裕章助教は、以前から「上関原発の建設は実現不可能」と断言してきた。 その根拠とは何なのか? 「今まで上関に原発が建てられなかったのは、祝島の島民が行政・電力会社の圧力に屈せずに反対してきたからです。 単純なようですが、彼らがお金の誘惑に屈せず、自然とともに生きる島の暮らしを貫く限り、上関に原発はできないと考えていました。 原発を受け入れると、補助金事業などで一時は潤いますが、豊かな自然環境を壊された地元は、農業・漁業・観光産業が衰退してしまいます。 賛成派と反対派の争いのなかで、地域の繋がりまでも失ってしまう。 そして何もなくなった住民たちは、生活のためさらに原発を欲しがる…。 こうして、原発依存からずっと抜け出せなくなってしまうのです。 祝島の人々のように、一時のカネに左右されず、まっとうに生きること。 子供たちに残したい地元の姿を想像すること。それを目指すだけで、原発は不要になります」』 (以上で、記事の転載を終了する) 私は、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、山口県上関町祝島の約500人の島民が、村の暮らしと豊かな海を守るために、さまざまな創意工夫をして、反原発を理念ではなく、具体的な手立てを尽くして貫いていることを、この記事で初めて知った。 島民の国や行政に頼らず自給自足する島民の強い意志の力は、何処からやって来るのか? 都市生活の便利さに飼い慣らされてしまった現代に生きる私たちのように、”誰かが何かをしてくれる”ことをあてにしない島民の生き方は、まるで海そのものだ。 私は、東京に行くたびに、詩人リルケの小説”マルテの手記”冒頭にある「人びとは生きるためにこの都会に集まってくるらしい、しかし、私にはむしろ、ここではみんなが死んでゆくとしか思えない」の一文を思いだす。 時間と空間を効率的に活用して生活することを、当然のこととして疑わない都市生活者たちの顔が、私には時として同じに見えて判別がつかない。 そこでは、自分の欲望でさえ、声高に言い立てる誰かの欲望を借りているようにみえる。 祝島の人たちのようにリアルな生活の場がないので、いつもモノを評価する尺度がお金に換算されて、お金を多く稼ぐ者が人生の成功者であり、公園に寝泊まりする者を目にしても、あのようには成らないと、視線をそらす。 もちろん、都会が悪く、田舎が良いと言いたいのではない。 私が2011年の9.11(世界同時多発テロ)の直後、ニューヨークのマンハッタンを歩いた時に目撃した、行方不明者の写真を掲げてうつむく家族たちの深い悲しみの眼差しと、この国の現代都市生活者の眼差しが一連の絵のように重なって見えるのだ。 生きて在ることの”リアルな実感”を喪失すれば、人はどんなに便利な場所に住んでいようと、魂を失う。 魂を失えば、生命をながらえても、人生を失う。 小さな島の住人が守ろうとしているのは命を育む海であり、大都市のために造られた原発が、その海を放射性物質で汚染している今の現状から、目をそらしてはいけない。
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